シバモト Ep. 10|カメラマン柴田の初めてのAMA「1986 AMA SUPERCROSS」

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すっかりおなじみとなった、ニューモト人気コンテンツ【シバモト】。モトクロス専門誌ダートクールをはじめとする、国内2輪誌の第一線で長年活躍中のカメラマン 柴田直行さんによる「1986年 AMAスーパークロス」をテーマとしたこの連載も今回で最終回を迎えます。

 

当時のフィルムをスキャンした貴重な写真の数々と 1986年当時の撮影背景や裏話等のコラムとを併せて、ニューモトエクスクルーシブのコンテンツとしてお届けしていきます。今エピソードも柴田さんが初めて足を踏み入れた世界「AMAスーパークロス」の感動と興奮が伝わる内容。

 

80年代モトクロスシーンを知る、コアなファン向けの内容だけはなく、モトクロスというスポーツと文化が急速に発展していった当時のUSモトクロスシーンの記録としても非常に貴重な資料です。現在とは情報そのものの概念やスピード、量が大きく異なった80年代。実際に現地取材と撮影を行ってきた柴田さんがニューモトで発信する内容は、日本モトクロス界の財産へとなっていくものでしょう。最終回ということもあり、是非とも改めて過去エピソードの再チェックと併せてお楽しみください。エンジョイ!

 

 

【Ep. 10 – 1986 AMA MOTOCROSS R7 DAYTONA】

3月8日。自分が米国に来てから2ヶ月。このデイトナが帰国前の最後のレース取材だ。アウトドアナショナルのゲインズビルを終えてゆっくりデイトナに移動。暫しモトクロスチームと離れ、デイトナバイクウィークのハーレー野郎達を取材をしたり、アリゲーターエンデューロを見に行ったりしてウィークデイを過ごした。

1986年のスーパークロスはデイトナで折り返しの第7戦を迎えた。デイトナスピードウェイはスーパークロス発祥の地。1972年からAMAモトクロス公式戦が行われ、1974年からは毎年ここでAMAスーパークロスが開催されていた。1986年は第15回AMAスーパークロスというタイトル。コースはデイトナスピードウェイのグランドスタンドの目の前にあり、始まった72年と同じ土の上をリック・ジョンソンやジェフ・ワードが走り、その後はスタントン、マクグラス、カーマイケル、ビロポト、ダンジーが走り、今はトマックらが走っている。

同時にデイトナはNASCARや24時間耐久レースなど数々のドラマを生み出したアメリカンモータースポーツの聖地。ここで勝つことはアメリカのメジャーモータースポーツに名を刻むことになる。いつも以上にテンションが高いライダー達だが、コースはシーズンで最も厳しい。特に長くて深くてサンドのタフなフープスが毎年ライダーを苦しめる。

1986年のコースデザイナーはデビット・ベイリーの父親ゲイリー・ベイリー。元祖アメリカ流のMXライテクの先生で、プロフェッサーと呼ばれる。そんな父がデザインしたコースで優勝し、シーズンの流れを取り戻したいとデビッド・ベイリーも燃えていた(2018年のデイトナコースデザイナーはリッキー・カーマイケル)。スタジアムと違ってコースレイアウトが広いし、エントリー台数も多いので予選ヒートレースは4組。決勝は40人でスタートし、14周を走る。今はナイターで行われているが、1986年は午後の明るい時間に決勝がスタートした。

4万人の観客がスタンドで見守る中、決勝がスタート。ホールショットはブロック・グローバー。続いてベイリーとジム・ホーリー、リック・ジョンソンが続く。ベイリーは直後の右ヘアピンで無理やりイン側に滑り込み、ホーリーを押し出そうとしたが、逆に弾き返されて転倒。ミッドパックへ落ちる。

トップはRJに変わり、グローバーが2位走行。ベイリーは怒涛の追い上げを見せ、中盤には3位走行中のワーディに追いついた。ベイリーはKXのスイングアームが曲がってしまうほどのアタックで抜き去り、チェーンが外れたワーディはこの日のレースを16位で終える。ベイリーはグローバーも抜き去り、終盤にはトップを走るRJとの差も詰めたが2位で終わる。ゲンズビルから2週間フロリダに滞在し、サンド路面の練習を重ねたRJが優勝。もはやRJの勢いは誰にも止めらないほど確かなものになっていた。3位はグローバー。キース・ボーエン達とのバトルを制したホーリーが4位に入り、自身スーパークロスでのベストリザルトを獲得した。

当初の予定ではシアトルまでで帰国するはずだったが、現地の皆んなが誘ってくれたから、その後の東海岸のアトランタ、ゲンズビル、デイトナも取材することになった。特にアウトドアナショナルを見た事と、デイトナでハーレーなども含めてアメリカのバイク文化に触れたことは、今も自分の心のコアな部分に残る一生分の良い経験だった。

多くの人達にお世話になり、本当に充実した3ヶ月弱。帰国はアラスカのアンカレッジ空港と韓国の金浦空港で乗り継ぐ24時間コースだった。長いフライトの間、夢のようなアメリカ滞在を振り返り、このお返しは「写真を通して多くの人達にAMAを伝える事だ」と心に決めた。その後、幸運な事にレースを撮影することが職業となり、20年以上もAMAを撮り続けることができた。

出会った人達、写真を見てくれた人達、本当に感謝しています。そしてこんな昔話を読んでくれた The Newsmoto の読者の皆さんありがとうございました。ここで掲載した写真を柴田のインスタグラムにもアップしています。今後も写真を増やして行きたいと思ってます。良かった見て下さい。ではでは、いつかまた。

Naoyuki Shibata (@shibaphoto) * Instagram photos and videos

スタート5秒前を告げるAMAのレースコントロールオフィシャル。この特別なAMAのジャケットにDavid Clarkのヘッドセット、ロレックス・デイトナ(たぶん)など全てがカッコ良い。

 

予選ヒートのスタート直後。12番がジム・ホーリーでこの予選でトップ通過。20番はリック・ライアン。グランドスタンドのタワーは建て替えられて現在は立派なビルが建っている。救急車同様にシブくていい感じ。このアングルで撮っておいて良かった。

 

ゼッケン1番のファクトリーKXとワーディ。この写真を撮った時、格好良さに痺れてました。OAKLEYのゴーグルにスモークレンズ+ティアオフをするとミラーレンズみたいだった(俺もやった。君もやったよね?)。ハーフマスク愛用のワーディ。顎だして走っているのは、もうワーディだけだった気がする。

 

生涯7回AMAタイトルを獲得したワーディでも、デイトナでは勝てなかった。それだけサンドコースのスーパークロスは特殊で難しい。これはレース中のダブルジャンプの1枚。ハンドルがフル切り。

 

44番はカナダ人のロス・ペダーソン。この日は6位入賞とスタジアムより活躍。当時のフープスはポーンポーンとリズム良く飛んでいた。ダダダっと突進するのはマクグラス時代から。

 

アウト側から好スタートの193番のKXに乗った16歳のロニー・ティシュナーが125クラスで2位に入賞。87年は優勝している。1ヶ月後のポンティアックSXでも優勝。

 

右は自身デイトナ最上位の3位入賞のグローバー。昼間なんだけどモトクロスとは違う絵柄。これもまたスーパークロスの写真。左はスタンド前の18度バンクを背に全開のマイク・ヒーリー。フープスとコーナーの轍以外はほぼ平ら。

 

ジム・ホーリーのSXでの最上位はこのデイトナの4位。ノレてるせいかいつもより前傾してる。コースはサーキットの本コースとピットロードの間の広い芝生エリアに作られる。走っていない所はこの通り芝生のまま。

 

予選でトップでゴールのジム。フロリダの青い空やグランドスタンド、コースの様子とやたら大きいシングルジャンプ、ジムのアクションも全部撮りたくてこの中途半端なフレーミング。この俺の癖は昔からで、今でもそのまま。

 

WINSTONタワーをバックに跳ぶオマラは8位と振るわず。アメリカかぶれの自分としてはこういう看板が「これぞデイトナ」って感じ。本当にたくさん撮った。オマラは華奢な雰囲気だけど、クイックシルバーの短パンから覗くふくらはぎの筋肉が凄い。

 

強烈な大きさのシングルジャンプのフィニッシュライン。この高さからドスンと落ちる。それでもハンドルを切って決めてくれたRJ。

 

デイトナの250クラス決勝スタートシーン。グローバーがホールショット。デイリーらしい立ち乗りのコーナーリングで1コーナーを曲がって行く。グランドスタンドの手前のアスファルトがロードコース。

 

決勝スタート直後の混戦。この後のヘヤピンでジムのイン側を狙うベイリー。ところが「ジムは象みたいにビクともしなかった」とアタックしたベイリーの方が転倒。好スタートから一転、追い上げのレースに。

 

ベイリーはスピードはあったのに、焦り気味のレース展開で2位。Unocal76のオレンジボールはデイトナスピートウェイ内のレースピットガソリンスタンド。レースのスポンサーがホンダなので、コースマーシャルは全員がHonda is No.1の帽子やシャツを着てる。

 

ゴール直後、喜びを噛みしめるRJ。後ろは名メカニックのブライアン・ルニス。タイムスケジュールが押しまくったが、太陽がグランドスタンドに隠れるギリギリで夕日に染まるふたり。

 

アメリカンモータースポーツの殿堂、デイトナのビクトリーレーンで勝利のシャペンを味わう。「俺は今、デイトナのウィナーズサークルにいるんだな。一生忘れないよ」とRJ。

 

レース後の記者会見にカメラマンは入れない。ピットでRJが戻ってくるのを待っているうちにすっかり暗くなってしまった。デイトナの土で汚れたゼッケン5番。

 

【1986 AMA SUPERCROSS R7 DAYTONA 250】
1.リック・ジョンソン(ホンダ)
4.デビッド・ベイリー(ホンダ)
3.ブロック・グローバー(ヤマハ)
6.ジム・ホーリー(ヤマハ)
10.アラン・キング(カワサキ)
12.ロス・ペダーソン(ヤマハ)
7:ジョージ・ホランド(スズキ)
8:ジョニー・オマラ(ホンダ)
9.マーク・マーフィー(ヤマハ)
10:ジョ・ジョ・ケラー(ヤマハ)
12:エイ・ジェイ・ホワイティング(スズキ)
13:ガイ・クーパー(ホンダ)
14:マイク・ヒーリー(スズキ)
15:スコット・バーンワース(ヤマハ)
16.ジェフ・ワード(カワサキ)
17.ラリー・ブルックス(ホンダ)
18.ダニー・ストーベック(ヤマハ)
19:リック・ライアン(カワサキ)
20:マイク・ベイヤー(ヤマハ)

 

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