シバモト Ep. 7|カメラマン柴田の初めてのAMA「1986 AMA SUPERCROSS」

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すっかりおなじみとなった、ニューモト人気コンテンツ【シバモト】。モトクロス専門誌ダートクールをはじめとする、国内2輪誌の第一線で長年活躍中のカメラマン 柴田直行さんによる「1986年 AMAスーパークロス」をテーマとした内容となります。

 

当時のフィルムをスキャンした貴重な写真の数々と 1986年当時の撮影背景や裏話等のコラムとを併せて、ニューモトエクスクルーシブのコンテンツとしてお届けしていきます。今エピソードも柴田さんが初めて足を踏み入れた世界「AMAスーパークロス」の感動と興奮が伝わる内容。

 

80年代モトクロスシーンを知る、コアなファン向けの内容だけはなく、モトクロスというスポーツと文化が急速に発展していった当時のUSモトクロスシーンの記録としても非常に貴重な資料です。現在とは情報そのものの概念やスピード、量が大きく異なった80年代。実際に現地取材と撮影を行ってきた柴田さんがニューモトで発信する内容は、日本モトクロス界の財産へとなっていくものでしょう。エンジョイ!

 

 

【Ep. 7 – 1986 AMA SUPERCROSS R6 ATLANTA】

シアトルのダブルヘッダーを終えた翌週、AMAスーパークロスは東海岸へ。アメリカ本土の北西部ワシントン州から、一気に南東のジョージア州へ。メカニックが運転するレースバンは、4,000km以上もの旅をしてアトランタに到着。

 

当初シアトルまでだった俺の取材予定。会う人皆んなが口を揃えて「デイトナを見なければAMAを見たとは言えない」と言った。今思うと本当にありがたい意見に押されてアトランタ、ゲンズビル、デイトナの3連戦へと向かった。

 

初めてのアメリカに1ヶ月滞在し、やっとカリフォルニアに慣れて来たころ。全く知識のないアトランタ。先輩プレスにアメリカの都会は怖いと脅かされた事を覚えている。例によってプレスパスをもらえるまでは、ビルが立ち並ぶスタジアムの外でウロウロ。やっとパスをもらってピットに入れば、見慣れた顔に一安心。ライダーやメカさんと挨拶を交わすと、日本から10,000km以上離れているのに自分のホームにいるような気になった。

 

アトランタのフルトンカウンティスタジアムには5万人を超えるファンが集まった。NFLの名門チームであるアトランタ・ファルコンズのホーム。グランド面が広くスタートラインは外周にあってグラウンド面をゆるく半周回ったところに1コーナー。

 

アメリカの東側は赤土のコースが多く、フルトンカウンティに運び込まれた土も赤土。しかもカリフォルアと違ってアトランタはこの時期は真冬。柔らかくて轍ができやすく滑りやすいという難しい土質。デビット・ベイリーはバージニア州の赤土育ち。こういった路面が得意なベイリーは「リックが調子に乗る前に、自分が勝ってシリーズの主導権を握る」と狙っていたはずだ。

 

コースの中央に泥の中を4WDで走るマッドボギンのコースがあって途中で行われた。ところが、時間が押しまくってスーパークロスの決勝開始はなんと深夜12時過ぎ。表彰台は午前1時を回っていた!

 

決勝では、リック・ジョンソンが1周目からチェッカーまで20周トップを走り切って優勝。ベイリーはトップを走るジョンソンの後ろで様子を見ていた。中盤からは二人の前に周回遅れも現れたが、ベイリーはチャンスを生かせずにジョンソンのわずかに後ろで2位に終わった。グローバーは決勝1コーナーでクラッシュ。リタイヤとなった。20位にガイ・クーパーが入っている。

 

この頃になるとかなりスーパークロスの撮影に慣れて来たが、日本から持って行ったフィルムはとっくに底をつき、カリフォルニアの現像所で購入していた。現地でのフィルム代と現像代は日本よりも高くつくため、飯代を削ってフィルムを買うような有様。そのせいか他のラウンドよりも残っているフィルムも少ない。

 

ヒートレースのスタートシーン。オマラが先頭で4番グローバー、9番ボーエン。皆な慎重な空中姿勢でジャンプ。この年のアトランタの土は乾いていたが、柔らかいので轍ができやすい。路面の荒れ具合が分かるだろうか。

 

5万人が入ったアトランタのフルトンカウンティスタジアム。コース幅は広そうだが、ベイリー曰く「抜きにくいコース。トップに出たらハッピー」。中央には同時開催のマッドボギンのコースがあり、右の車はその出場車。

 

ジェフ・ワードはオマラを抜いて3位となったが、トップの二人からは離された。ゴール後はお疲れのご様子。このころはレースが終わると急にコース上に人が入って来てカオス状態に。

 

「集中して走った結果、コース攻略が上手くいって速く走れた」とジョンソン。スタジアム内にピットを設営するが、整備をするにはかなり暗い。白熱電球に浮かぶリック・ジョンソンのシルエット。ウォークマンで音楽を聞き、集中力を高めるのが当時の最先端。

 

スタジアムの外にはトランスポーターの駐車場。当時はこういう感じのトラックで転戦。トラックはレースバンと呼ばれていた。ファクトリーはライダー1人につきレースバンが一台。運転はメカニックが担当し、全米を走り回る。ライダーは飛行機移動。カラーリングがイカしているのがファクトリーのレースバン。

 

赤土のコースを走るジョニー・オマラ。こういう少し後ろに体重かけて、上半身を伏せめなライダーの姿勢が大好き。ところでスキッドガードがないから塗装が剥げほどフレームを擦っちゃってる。

 

ミシガン州出身のキース・ボーエン。元気の良いやんちゃなジャンプが魅力。マルコムスミスのウエアを覚えてますか? こちらはチャンバーが飛び石でベコベコ。軽量化の為に薄い鉄板で作っているから余計に凹みやすい。

 

この写真はストロボじゃなくて高感度フィルムで撮りました。フィニッシュジャンプだと思うけど、これでも当時としては捻ってる方だと思う。足も離しているし、ワーディにしてはサービスしてるね。

 

アメリカでは南部と呼ばれるアトランタだが、2月は結構寒かった。常夏なのはフロリダの南側だけ。防寒着はなぜかN3-Bを着るロン・ラシーン。

 

アトランタのスタジアムが明るかったという記憶はない。なのに高感度フィルムを多用しているのは、ストロボ用のコダクロームKR64の手持ちが少なかったからだと思う。ライダーはロン・ラシーン。

 

【1986 AMA SUPERCROSS R6 ATLANTA 250MAIN】
1. リック・ジョンソン(ホンダ)
2. デビッド・ベイリー(ホンダ)
3. ジェフ・ワード(カワサキ)
4. キース・ボーエン(ヤマハ)
5. ジョニー・オマラ(ホンダ)
6. ロン・ラシーン(カワサキ)
7. ミッキー・ダイモンド(ホンダ)
8. リック・ライアン(カワサキ)
9. ダニー・ストーベック(ヤマハ)
10. エリック・キーホー(スズキ)
11. ジム・ホーリー(ヤマハ)
12. ビリー・ライルス(カワサキ)
13. エイ・ジェイ・ホワイティング(スズキ)
14. ロス・ペダーソン(ヤマハ)
15. マーク・マーフィー(ヤマハ)
16. トム・カーソン(ホンダ)
17. マイク・ヒーリー(スズキ)
18. ジョジョ・ケラー(ヤマハ)
19. アラン・キング(カワサキ)
20. ガイ・クーパー(ホンダ)

 

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