シバモト Ep. 1|カメラマン柴田の初めてのAMA「1986 AMA SUPERCROSS」

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話題沸騰中! ニューモト新連載【シバモト】。モトクロス専門誌ダートクールをはじめとする、国内2輪誌の第一線で長年活躍中のカメラマン 柴田直行さんによる「1986年 AMAスーパークロス」をテーマにした内容となります。

 

当時のフィルムをスキャンした貴重な写真の数々と1986年当時の撮影背景や裏話等のコラムとを併せて、ニューモトエクスクルーシブのコンテンツとしてお届けしていきます。初回エピソード0に続いてのエピソード1は、柴田さんが初めて足を踏み入れた「AMAスーパークロス」の感動と興奮が伝わる内容で、後に伝説の一戦として広く知られることとなる「’86 アナハイム」が、初AMAスーパークロス撮影というミラクル感!

 

80年代モトクロスシーンを知る、コアなファン向けの内容だけはなく、モトクロスというスポーツと文化が急速に発展していった当時のUSモトクロスシーンの記録としても非常に貴重な資料です。現在とは情報そのものの概念やスピード、量が大きく異なった80年代。実際に現地取材と撮影を行ってきた柴田さんがニューモトで発信する内容は、日本モトクロス界の財産へとなっていくものでしょう。エンジョイ!

 

 

【Ep. 1 1986 AMA SUPERCROSS R1 ANAHEIM 前編】

 

前週のCMCで肩慣らしを済ませ、いよいよ開幕戦が行われるアナハイムスタジアムへ。決勝は土曜夜だけど、木曜のプレスデイから乗り込んだ。見たことが無いほど広い駐車場の真ん中にそびえるスタジアム。自分がそこに居るのが不思議な感覚。スターライダーとファクトリーチームのバイクがカリフォルニアの青空の下に勢ぞろい。いやっほぅ、来たぜぇぇぇ、アナハイム!

 

と、思っていたのは最初だけ。先輩プレスに叱咤されつつ、浮かれている暇が無いほどバイクを撮ったり、顔写真を撮ったりと忙しかった。開幕戦が一番忙しいのは今も昔も変わらない。

 

1986年は、モトクロス界にとって大きな転換期だった。70年代から始まった日本製モトクロッサーの大進化がひと段落して、AMAは1986年から車両規定を市販車ベースへと変更。一握りのプロライダーだけが乗れるファクトリーマシンの時代から、現在と同じように一般ユーザーと同じ車体やエンジンをベースにした車両でAMAタイトルを争うことになった。

 

また当時のAMAモトクロスは、ボブ・ハンナのセミリタイアやマーク・バーネットが引退して、ワード、グローバー、ベイリー、ジョンソン、オマラ、ラシーンら若手中心の6強時代に突入。しかもこの中でラシーンがホンダからカワサキへ、ジョンソンがヤマハからホンダへと移籍。誰が勝つのか全く予想出来ないが、激しいチャンピオン争いはになることは間違いなし。

 

世界中の多くのAMAファンにとって思い出深く、最も熱いシーズンのキックオフが始まった。

 

後ろ髪が長いリック・ジョンソン。いやーカッコイイ。LIFE’S A BEACHのTシャツにOAKLEY極初期のレイザーブレーズ。まだIridiumレンズが登場する前。この頃のカリフォルニアMXは新しい何かを生み出すエネルギーが沸騰していた。

 

こちらはデビット・ベイリーのホンダCR250R。市販車ベースになっても各メーカー、高価なスペシャル前後サスを装備。ベイリー車のFフォークは成立タイプ。アウターはたぶんマグネシウム。市販CRはRブレーキがドラムだが、アメホンチームのバイクは開幕からディスク化されていた。

 

ゼッケン5はリック・ジョンソンのホンダCR250R。FフォークはSHOWAの倒立タイプ。プロテクターが付いていないが、この状態でレースを走った。チャンバーがベイリー車と全然違うのが興味深い。決勝日はプロサーキットのチャンバーで走ったと思う。トリコロのウイングマークがイカしてます。

 

USヤマハの契約ライダーは5人いたが、ブロック・グローバーだけ特別なバイクに乗っていた。FフォークはSIMONSの倒立。Rショックはオーリンス。Rブレーキはシーズン途中でディスクもトライされる。まだイージーアップテントが開発されてない時代。カリフは青天井ピットが格好良く見える。

 

エリック・キーホーのRM250。こちらも前後サスがスペシャルです。Fフォークはこれ以上伸びないってくらい長い。ちなみにこの時代のRMエンジンは市販車も青く塗装されてました。

 

1985年のチャンピオン、ジェフ・ワードのKX250。4メーカーで唯一、市販車もRディスクブレーキを装備。一方、Rショックはまだアッパーリンクのユニトラック。ボトムリンクは87年から。これは決勝前々日のプレスデイに撮ったカット。

 

当時、俺はジョニー・オマラの大ファンで、プレスなのにハート型の目でファインダーを覗いていたと思う。本当に好き過ぎて目の前にいたのに現役時代オマラとはぜんぜん喋ってない。オマラはバイクを降りると普通以上おとなしく地味な感じだった。

 

決勝のスターティンググリッドをならすベイリー、グローバー、ラシーンのJTトリオ。「JTライダーを撮りたくてアメリカに行った」と言っても過言ではない。べイリーのブレストガードとALS-1にタイチのステッカーが!

 

夜7時半、予選のスタート。バイクは速いが、観客の出足が遅い(笑)。これでも決勝スタート前には満員になった。1はジェフ・ワード、12はジム・ホーリー。ワーディはこの晩、ヒートレースでスロットルワイヤー切れでDNF。LCQにも進めず、まさかの予選落ち。

 

先週のCMCで痛めた膝を庇いながら懸命に走るジョニー・オマラ。オマラと言えば真っ白のアンサーというイメージかな? この年はブルーを着ることが多かった。ヘルメットはBELLのMOTO4。

 

6強ライダーの居ないスズキの中で存在感を示したエリック・キーホー(後のUSホンダ監督)。この写真の手前は3連ジャンプなんだけど、3つめのコブを大きく飛び越して着地直後にこのバンクコーナー。AMAにはこういう俺の度肝を抜くすごいアクションが毎戦あった。

 

前週のCMCよりもコーディネートされたALS-1を被るグローバー。ゴーグルもJT。この通りSX本番でもSIMONSのFフォークにはプロテクターなし。決勝はバッドスタートから7位でレースを終えている。

 

後にジェットスキーのウエアメーカーJETPILOTを立ち上げるスコット・バーンワース。ヤマハの契約ライダーだったが、ご覧通りグローバーより市販車に近いチューニングのバイク。今見ても斬新な黒/赤のHALLMAN。決勝ではホールショットからスタート直後にRJとジャンプで接触転倒。

 

スズキの期待の新人マイク・ヒーリー。ミニモトで大活躍してたから俺も名前は知ってた。Tatooバリバリの世界GP時代とは全く異なる性格で、当時はひ弱っぽいキャラ。AraiのMXのチンガードを外してOAKLEYのフェイスマスクだった。

 

このアナハイムの観客動員数はなんと70,075人。比べるのも何ですが全日本選手権の1シーズン分より多いかも。そりゃウェーブも盛り上がります。当時はナニがナニして3階席はやばい雰囲気と香りが立ち込めてました。

 

1986 AMA SUPERCROSS R1 ANAHEIM 前編、いかがでしたでしょうか? 当たり前の「凄い・感動・鳥肌・胸アツ…」等の言葉しか出てこないほど、ドキドキが止まりません。伝説の「’86 アナハイム」まだまだ写真やコラムも続きます。後編をお楽しみに!

 

 

shibaphoto.com


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