Gモト|Life in Speed「鈴鹿ツインサーキット」vol. 1

sr141230banner

この一言から始まった・・・「スティーブ・マーチンの本番車、現存するんですよ」。

1982年、数々のオートバイ雑誌を生み出してきた「森岡進」氏が日本のモトクロス界に衝撃を与えたレース「ジャパンスーパークロス」。日本中のモトクロスファンが熱狂したあの日から42年が経ち、現在も日本のモトクロスには「アメリカのモトクロス」がずっと影響をもたらしている。

先のジャパンスーパークロス後の日本のモトクロスは「アメリカ一色」となり、JT RACING、ジョニー・オマラ、デビット・ベイリー、リック・ジョンソン、ジェフ・ワード、ブロック・グローバーなどウェアからライダーまでアメリカ、アメリカ、アメリカ。週末の桶川(セフティーパーク埼玉)には〇〇レプリカで溢れかえっていました。トップライダーからエンドユーザーまで「追いつけアメリカ」という空気感が日本中を包み込んでいました。日本中を熱狂させたジャパンスーパークロスは「日本モトクロス史における最も重要なレース。モトクロスセンター試験があったならば・・・ 必ず出る基礎中の基礎問題!」となっています。

そんな時代、1984年1人のアメリカンライダーが来日。モトレオンが運営するプライベートチームから全日本モトクロスにフル参戦、ライダーの名前は「スティーブ・マーチン」22歳。来日直前の1983年、アメリカでの成績はスーパークロスで14位、アウトドアMX500ccで5位とバリバリのトップライダー。プライベートチームながらワークスチームをぶっちぎり初年度から国際A級250ccクラス(現IA1クラス)でチャンピオンを獲得。

 

そのスティーブ・マーチン選手が、1985年に「Mr-BIKE」に移籍。Mr-BIKEは愛知県春日井市に店舗を構え、バイク販売・コース運営・全日本モトクロスも開催していた老舗。マーチン選手は1985年(チャンピオン獲得)、1986年と2シーズンをMr-BIKEで走りアメリカに帰国している。

日本で走った3年間、マーチン選手が日本のモトクロス業界への貢献度は高く、日本人ライダーのレベルアップはもちろん、おおらかなキャラクターで(一緒に来日していた婚約者さんも)日本とアメリカのモトクロスを「より身近」なものにしてくれました。

Gモトクルーも成田(多古町)で練習を一緒にさせていただいた事がありました。とてもフレンドリーで、コースに居合わせた人達と一緒にお昼ご飯食べ、会話し、走っていました。そんなスティーブ・マーチン選手のバイクが現存するって聞いた時は大興奮。取材当日、そのバイクを目の前にした時、当時を思い出し時が一瞬でタイムスリップしました。日本のモトクロスに多大な影響を与えた「至高の1台」ではないでしょうか。

 

まずこの写真は「鈴鹿ツインサーキットモトクロス場」で撮影しました。このバイクをこの場所で撮影する事には意味があります。この木にはMr-BIKE 故 齋藤氏の想いが詰まっています。その想いはまた詳しくお届けしますが、その「想い」が日本のモトクロスを急成長させた事は間違いありません。この記事をスタートとし、「当時の想い」から「現在の想い」までGモト目線でお届けしたいきます。皆さんが「熱い想い」を持ち、ひたむきにモトクロスと向き合った日々を思い出しながら読んでいただけたら幸いです。

 

チームトラック

鈴鹿ツインサーキットの入口ゲートにある「当時のチームトラック」。Mr-BIKEといえばこのロゴ、いきなり歴史的なアイテムがお出迎えしてくれます。

 

「半クラッチはアクセルだ!」という雑誌の企画にもなったクラッチ操作。レバー周りは純正、当時は「鉄ハンドルを塗装」するのが最先端。

 

「レバーにテーピング」このカスタムで「タッチ」を良くしてました。左右グリップも純正。

 

クランプも純正。クラッチレバー、ブレーキレバー、クランプとハンドル周りを見るだけで、マーチン選手の手足が長く高身長が魅せた「独特のライディングフォーム」が目に浮かびますよね!ハンドルを「手前に寝かせている」のが予想外でした。

 

ステップ、リアブレーキペダル、シフトペダルも純正!しかもステップはワイドでもなく、今のファンバイク並。このステップで、あんなに激しく走っていたなんて・・・。ブレーキペダルは調整ボルトを締め込み「ステップより高め」。

 

左右レバーが低く、マーチン選手のスタンディングポジションが脳裏に浮かびます。バーパットは「当時はみんなコレ」というゴールドベルト製。バークランプはワンオフパーツ。

 

サスペンションは、前後KYBスペシャル。

 

この年代から日本に登場し始めた「プロサーキット」。シリアルナンバーは「CR 86 CO273」。

 

サイレンサーも純正。プロサーキットと純正サイレンサーのセットアップ。

 

フロント・リアスプロケットも純正。ファイナルは「13丁x55丁」。最後にどのコースを走ったかは不明なんですが、55丁は大きいと思うんですが・・・。チャンバー、サイレンサー、リアスプロケットと見ると、低速重視のセットアップが好みだったんでしょうか?

 

フロントは結構フルボトムしていると思うんですが・・・サスペンションの好みも気になりますね!

 

キャブレーターとシリンダー。HPP表記が消えてます。

 

タイヤサイズは「120/100-18」リアタイヤが18インチの時代です。タイヤはダンロップK990。

 

いかがでしたか?スティーブ・マーチン選手の本番車。皆さんのモトクロス魂に火がついたのではないでしょうか?

当時はホンダCR80・125・250だけで年間販売計画「3.500台」という全盛期。価格はCR80が215,000円、CR125が370,000円、CR250が450,000円(消費税なんてなかった時代)という時代。バブル景気もあり「目指せアメリカ」に追い風が吹いていました。

メーカーさんからのサポートも手厚く「プロライダーを目指して良い時代」で、当時のワークスライダーは「億」を稼ぐ方もいらっしゃいました。本当に「夢」がありました。

今回のLife in Speed 鈴鹿ツインサーキットは序章です。当時の裏話や、未来へのお話を沢山お聞きしています。「Mr-BIKE」というモトクロス文化を深堀していきます。

80’sのモトクロスネタでおおいに盛り上がりましょう。
まだまだ続くよ!

Life in Speed – The Newsmoto

GSPEED-TOKYO


Gモト – The Newsmoto


You may also like...