Gモト|ビハインド・ザ・ゲート「下田陽一」SoCal MXTF vol.3

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いよいよ今週末!

2024 全日本モトクロス選手権 第7戦「TOKIO INKARAMI Super Motocross」開催直前記念ともいえる、ビハインド・ザ・ゲート鈴鹿編。今回の鈴鹿編は、2022年全日本モトクロス選手権第4戦近畿大会の衝撃参戦から2年ぶりに、全日本モトクロス選手権の参戦が発表され話題騒然、本場アメリカでトッププロとして活躍する下田丈選手の父「Socal MXTF 下田陽一氏」vol.3をお届けします。

今回はさらにさらに深く! ライダーの父として、全日本モトクロスOBとしてお話しをしていただきました。

「自分が生きているうちに見れるとは思わなかった」と誰もが思う夢のような活躍を魅せている下田丈選手の原点に迫ります。

 

【モトクロスを始めたきっかっけ】
〜モトクロスとの出会い〜

Q:下田丈選手が最初にモトクロスに興味を持ったきっかけは何ですか? 何か特定の瞬間や影響を受けた出来事はありましたか?
A : 私がモータースポーツやアウトドアライフが好きで家族や仲間をたくさん集めてジェットスキーやモトクロスをしたりBBQやキャンプをしていたんです。そんなところに丈が生まれ、物心がつく前からそう言う生活が普通だったので乗り物に乗るのは自然なことでした。丈が4歳になる頃、その中に当時大流行りしたピットバイクレースがあり、親子や友達と一緒にファンライドするためにQR50に補助輪を付けて初乗り。大体遊んだ後はBBQしたりしてたので週末はただただ楽しかったんだと思います。

Q:幼少期、彼はどのような事に興味を持ち、活動をしていたのでしょうか? また、彼のモトクロスの才能に気づいたのはいつ頃ですか?
A : 6歳ぐらいまでの幼少期は暇させる事なく平日は習い事をたくさんこなしてました。勉強は公文としちだチャイルドアカデミーと週1回 大阪までインターナショナルスクールに通わせ、運動はスイミングと体操教室とサッカー教室にローテーションで通ってました。体操やサッカーは遊びの延長のようで楽しそうにしていたように思います。帰ったら風呂に入って夕飯済ましたら寝るような生活習慣でした。週末のモトクロス活動が盛んになってきた頃からオフロードランド美杉やライダーパーク生駒のレースに参加するようになったのですが、レースに負けると悔しいわけで、そこからは勝ちたいが為に毎日校門にトランポ横付けして必死に練習するような生活になっていきました。なので才能に気づいたのではなく、裏側には弛まぬ努力。努力に勝る天才は無いと考えてます。

Q:ご両親として、下田丈選手の情熱を支える一方で、モトクロスという厳しいスポーツに向き合う難しさをどのように克服してきましたか?
A : 速くなるためには相反することをバランスさせないといけないので非常に難しいことだと思います。私は後悔の無いように車両やインフラに関しては妥協しませんでした。ただ勝ちにこだわって厳しいことだけですが、難しさを乗り越えるのに大事なのは母親のパートなのだと思います。体調面や精神面の本当のところは育ててきた母親にしか分からないんだと思います。丈がまだ幼かった時は怪我のリスクを考え、妻は毎日体温計で体温チェックして少しでもおかしいと感じたらライディングはさせませんでした。子供は口に出さないから分からないそうです。そういった部分では1番の理解者で食事管理や栄養面では今でも協力してやってます。

Q: 息子さんと話している中で、彼がモトクロスを本気で追いかけたいという夢や目標を初めて口にしたのはいつ頃ですか?
A : 自然の流れのようにモトクロスを始め、レースで勝つぞとかアメリカへの挑戦や全米チャンピオンだとか、これらは私たち親が設定したことで、本人はどちらかと言うとやらされている感だったと思います。勝てば携わるみんなが喜ぶから頑張るみたいな感じだったと思います。そして14歳になり全米チャンピオンになりファクトリー契約のサインをした時、やりきった感が出てしまい辞めてもいいと言った事がありました。私達や周りがファクトリーばかり言うのでファクトリー契約がゴールのような感じだったのでしょう。漠然と夢や目標を世界チャンピオンやスーパークロスチャンピオンとではなく、具体的(ファクトリー契約)でしたから本人は目の前の結果を追いかけていたんだと思います。なので、現在の夢はチャンピオンではなく「本気でチャンピオンを目指す」と決めたのは正味プロになってからです。

 

【日本からアメリカへの転機】
〜アメリカ移住の決断〜

Q: 下田丈選手のキャリアを進めるために、アメリカへの移住が必要だと感じたのはどのタイミングでしたか? また、その決断に至るまでに直面した最大の課題は何でしたか?
A : どうせやるなら本場でやろうと決めて最初は2週間ほどの短期から始めたのですが、本場のライバル達は 1周で15秒も速かったのです。これではダメだと3ヶ月のプランで改めてスケジュールを組み直してレースを追いかけることにしました。やり始めるとトランポは? ガレージは? 宿は? そんな生活も2年も続けると入国の際になぜそんなに長期で出入国が必要なのか? 大体子供の学校は? 十分滞在できることが証明できる残高証明を提出しろなどと入国が困難になってきたわけです。何にしろステータス(在留資格・ビザ)が無いわけですから、契約や車両の購入ができないことが大きな問題でした。ちなみに当時は65ccをバラしてスーツケースに詰め込んで運んでました。このまま続けてもいづれ入国拒否されるのは時間の問題だったのでビザの取得を決断しました。

Q: 移住に向けて、どのように心の準備や生活面での準備を進めましたか?
A : ビザ申請を決めてからは何の迷いもなく留学ビザを申請しホストファミリー宅であずかってもらい、学校に通い英語の勉強をさせました。何も分からない未知の世界でしたがまずやってみようという事で。その頃はあまりモトクロスはできませんでした。留学費用やレース資金が必要なので私は基本的に日本で仕事をし、妻が帯同してアメリカ生活をスタートさせました。そんな中で一番の被害者は娘だったのでしょうか。家族ばらばらでしたから、家族で暮らしたい、モトクロス以外の所へ行ってみたい、涙ながらに訴えてました。1年ほど日本で私と暮らした事もありましたが、最終的にはアメリカへの道を選んで現在も頑張ってます。

Q:プライベーターとしてアマチュア時代で最も苦労したことは何でしょうか?その際、親としてどのように彼を支えてきましたか?
A : 思い返せば苦労しか無いのですが、スーパーミニ時代の頃は大変でした。ファクトリーチームはアマチュアナショナルに大きなリグ(トレーラー)でトラックサイドサポートを展開してライダーサポートをします。アマチュアライダーと言えど一流どころは最高のモディファイ車両にファクトリーメカニックとトレーナーが付いて全身フルサポートですからライディングに集中できるわけです。会場に大きなモーターホームを乗りつけて1週間のレースを戦います。我々はそんなもの無いわけですから、ボックスバンに最小限の機材だけで全米中を転戦しました。遠い所だとカリフォルニアからフロリダまで、片道4000キロ自走とか。もちろん丈も一緒にです。毎日の宿は会場近くでランドリーとスーパーがあるモーテルを探しながらジプシー生活でした。そんな環境の違いの中でも本気で勝ちにいくぞと。スピードでは負けてなかったのでやるしか無かったです。

Q:下田丈選手が挫折しそうな時期や、モトクロスを諦めようとした瞬間があった場合、その時どのように励まし、アドバイスをしましたか?
A : 丈は自分が優勝する喜びよりも優勝すると私たち家族が喜ぶので頑張って走ってきたのだと思います。もともとモトクロスが好きで始めた訳ではないので、辞めたいと言い出した事は何度かありました。その都度、家族も丈のモトクロスの為に大変な犠牲を払って一緒に闘っていること、他のどんな事でも楽しいことばかり続かないし、頑張った向こう側にだけ楽しさがあるんだと聞かせました。今、頑張っているモトクロス以上に何か頑張れる事を見つけるなら辞めてもいい、その代わり今のように一緒に手伝うことは出来ないかもしれない。みたいなことは話してきました。

 

【プロ契約獲得とAMAスーパークロスでの成功】
〜プロ契約と重要な節目〜

 Q:下田丈選手が初めてプロ契約を獲得した時の気持ちはいかがでしたか? その際、ご自身や家族にとってどんな意味を持ちました?
A : プロ契約の前にファクトリーコネクションホンダとプロに向けてのアマチュアプログラムにサインした時のほうが感慨深いものがありました。契約当時14歳、丈自身もこの時に一度燃え尽き症候群のような状態になったようでした。プロクラスにステップアップするのはプロポイントさえ取ってしまえばほぼ任意で出来ますが、プロ契約はまた別の話。サクセスストーリー的に将来ファクトリーライダーを目指すには、ミニでロレッタリンタイトルを獲りファクトリーチームとアマチュアプログラム契約が必須となります。なので丈は最年少でファクトリーへの道を手にいれたわけです。14歳の頭では整理しきれず、やり切った感が出てしまったのでしょう。私達もやってきた事は間違ってなかった。このアマプロ契約が獲得出来なければ帰国の考えも有りましたので、日本からのチャレンジャーが認められた事を実感し、過酷なプライベーター生活から解放される嬉しさで今まで敵とも感じたアメリカのモトクロスにやっと受け入れてもらったように感じた瞬間でした。ここから落ちる事は考えてませんから、同時にアメリカで生活していくんだろうと考えた時でもありました。丈が目指す方向へ進むものですから家族も腹を括りました。娘もアメリカでの大学受験を決め、現在は大学生として頑張っています。

Q:AMAスーパークロスでの初優勝後、今後の目標や将来の展望について親子の会話にどのような変化がありましたか? 具体的に目標や達成したい事柄などを一緒に話し合いましたか?
A : ファクトリーライダーである以上、常に勝つ考えでいるのは当たり前だと話します。しかし同世代のジェットばかりが活躍し、次はと期待される中で今年はディーガンが現れて手こずっているのが現実です。丈は、250ccクラスでチャンピオン獲得後プレミアクラスへステップアップしたいと言いますが、250では年齢も中堅になりました。身体も大きく、ライディングもフィジカルも問題無いと見てますので、あまり250でのチャンピオンに拘りすぎるのではなく、目標は450ccでチャンピオンを設定して若いうちにプレミアクラスを走らせたいと考えてます。

Q: 下田丈選手が成功を収める一方で、彼をプロライダーとして集中させ地道な活動を継続させるためにどのようなアプローチを取ってきましたか?
A : もともとアウェイで不利な環境からアメリカにチャレンジを始めた訳ですから当然アメリカンより熱量は必要なわけです。小さい頃から言い聞かせ取り組んできましたから裏側に必要な努力の存在は十分理解しているようです。そして現在はプロとして自覚し期待される仕事の為、これから少しの間あるオフシーズン期間も休まず自分の為に頑張っているのだと思います。

 Q:失敗や挫折の場面では、親としてどのように彼と向き合っていますか? 成功と失敗を経験する中で、親子関係に変化はありましたか?
A : アマチュア時代は私がイニシアチブを握ってレースしていたので「もっといけ」「もっとやれ」だったので愚痴や言い訳があればさらに追い詰めるやり方でした。プロになってからは失敗するなんて考えませんから「いける」「次はいける」とただただ応援するだけです。私には知り得ない世界最高峰の領域でやっている以上、今となっては尊敬しています。そんなスタンスで関わっていると、長い間見てきたからこそ分かる事というものが有るのですが、そう言ったアドバイスは素直に聞き入れて実践してます。

 

【父親としての視点】
〜彼の歩みを振り返って〜

Q: 父親として、下田丈選手が高いレベルで成功を収める一方で、その過程での成功や失敗をどのように見守ってきましたか?
A : まだ成功したわけでは無いと言うのが本音です。今年チャンピオン最右翼でスタートしたにも関わらず、全く勝てなかったあげく怪我までしてしまいました。でも丈はまだ若く、この近年3年ぐらいの経験は後に効いてくると確信してます。名門プロサーキットを経験し、HRCで1年。移籍のデメリット、チームワークの必要性やマシン作りの専門知識、ライディングスキルやフィジカル以外の要因で勝つ為に必要な知識は同世代のどのライダーより経験して理解していると思います。いい意味でプレミアクラスに向けた育成期間と考えてます。

 Q:サポートしつつも、過度なプレッシャーをかけないためには、どのようなバランスを取ってきましたか? 下田丈選手が成長するにつれて、そのスタンスは変わりましたか?
A : 丈がプロになり成長していくにつれてチームやトレーナーに預けて現在のポジションまで来ましたが、今HRCライダーとして勝って当然の立場を丈一人で請け負うのはあまりにも孤独すぎるのでは…と、最近考え始めました。チームクルーが丈のパーソナリティ含め本当の「Team JO」となるまでにもう少し時間が必要です。長く携わってきた私にしか分からない事が勝ちに貢献出来るのかも。前記に少し書きましたが、スタンスを間違えないように丈の理解者となりもう一度一緒に戦おうと考えてます。

Q:下田丈選手選手のキャリアにおいて、特に誇りに思う瞬間があれば、それはどの場面でしょうか? なぜその瞬間が印象的でしたか?
A : 2022年のAMAモトクロスシリーズでのレッドバッド大会。 日本人チャレンジャーが強さを身につけて勝ち始めた頃にアメリカで受け入れてもらう為に完璧な演出だったと思います。アメリカ独立記念日を祝う大観衆の前で星条旗カラーのウエアを着用し、星条旗デザインのグラフィックを纏ったマシンで今日は勝つと決めて腹にマジックで「I love USA」と娘に描かせて挑んだレースで見事優勝を果たし、約束通り「I Love USA」をアピール出来ました。あの時の敬意を受けて、今日のアメリカでの立場があると思ってます。そのレースでアメリカ国旗の前をジャンプしているシーンが、Race X誌の表紙を飾りました。

Q:今後の彼のキャリアや個人としての成長について、どのような期待や希望を持っていますか?
A : もちろん近い将来プレミアクラスで活躍するライダーとして成長して欲しいです。しかも大谷翔平のように期待に応える皆んなに愛される選手になって欲しいです。今、丈が苦戦して一生懸命吸収していることが備わった時、丈の快進撃が始まると信じています。前回の記事で書かせて貰いましたが誰も成し遂げた事のないこと、F1やMotoGP、AMAスーパークロスのプレミアクラスでチャンピオンを獲得したらニュースになるのでしょうか? 実証したいですね。

 

皆さんはどのようなご感想をお持ちになったでしょうか? 十人十色という言葉がありますが、読んでいただいた皆さんの環境で感じ方は様々だと思います。しかし、ご自分のお子さんや、ご自分のチームライダーに対し「どうしたら良いのだろう?」、「環境を向上してあげたい」、「共に成功したい」と考えている皆さんにとって、これほど参考になる素晴らしい経験談の共有はそうはないでしょう。

「どんな事でも楽しいことばかり続かないし頑張った向こう側にだけ楽しさがあるんだ」。この言葉は、モトクロスだけではなく「人生に共通する」事ですね。人生はプロライダーとして活動する期間より、辞めてからの方が長いですし、幼少期から大人になり、自立していく時に「この頑張り」が彼ら彼女達の心を支えていくのです。下田選手のようにトッププロだからではなく、全てのお子さん、チームライダーに対し、今回の記事内容は該当していると感じました。

私がGモト目線で気になった言葉は・・・

才能に気づいたのではなく裏側には弛まぬ努力。努力に勝る天才は無いと考えてます。」
ただ勝ちにこだわって厳しいだけだけですが、難しさを乗り越えるのに大事なのは母親のパートなのだと思います。
そんな中で一番の被害者は娘だったのでしょうか。」
「娘もアメリカでの大学受験を決め現在は大学生として頑張っています。
私には知り得ない世界最高峰の領域でやっている以上、今となっては尊敬しています。
前記に少し書きましたがスタンスを間違えないように丈の理解者となりもう一度一緒に戦おうと考えてます。

 

いよいよ今週末! 下田丈選手とご家族の凱旋レース。天気予報も大丈夫! 小江戸川越「オフロードビレッジ」でエンジョイ全日本モトクロス。レースファンの皆さん、下田丈選手がどこまで駆け上がって行くのか、このサクセスストーリーを共有し、応援していきましょう!

まだまだ続くよ、ビハインド・ザ・ゲート鈴鹿編。ではまたー。

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