Gモト|ビハインド・ザ・ゲート「小島庸平」vol. 2

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レースを支える人達の情熱に迫る「ビハインド・ザ・ゲート」。ご好評いただきました、2006年IA2、2015年IA1クラスチャンピオン小島庸平選手 vol. 1。vol. 2では「強いライダーになりたい、でもなれなかった」という小島選手の言葉を中心に深堀り。

小島選手は現在、モトクロス業界の底辺からトップカテゴリーまでを網羅し業界を盛り上げています。全日本モトクロスではホンダサテライトトップチームとして活動する「ベルズレーシング」のプレイングマネージャー。モータースポーツ都市宣言されている鈴鹿市生まれ鈴鹿市育ち。

 

全日本モトクロス選手権の最前線で戦っていた小島選手は、2008年IA1クラス2年目でランキング2位となる。その頃、ベルズレーシング立ち上げに関わるもう1人のキーパーソン、同郷の下田氏との出会いがあった。下田氏はそう、下田丈選手のお父様だ。まだ幼かった下田丈選手を始め、鈴鹿にはキッズライダーが何人かいて、2009年(24歳)にFIMモトクロス世界選手権 MXGPシリーズ MX2クラスにフル参戦する小島選手へ、手作りの横断幕をみんなで作成し送り出してくれたそう。

当時、丈をはじめ鈴鹿キッズ達は「アメリカに行きたい」「アメリカで活躍したい」という夢を持っていました。「強いライダーになる」と決めていた私は、スズキさん、アールエスタイチの吉村さんなど多くの方々の支援を受け、MXGPシリーズMX2クラスへフル参戦。それを力強く送り出してくれた「鈴鹿キッズ達」に対してのお手本になるようなライダーになるんだ!っと鈴鹿からベルギーへ旅立ちました。

しかし、世界の壁はとても厚く20位以内に入るのがやっと。最高位はチェコの13位でした。その時のチームメイトがケン・ロクスンで、彼は15歳になった第5戦ポルトガルから世界選手権にデビュー。初レースでいきなり9位とTOP10入りを果たし、同じレースを走った私は15位。続くレース2でロクスンは4位入賞し世界中でスーパールーキー誕生と騒がれていました。そして彼は数戦後、自国のドイツ大会で見事優勝し皆さんがご存知のスーパースターへの道のりが始まりました。

彼の活躍を目の当たりにしていましたが、同じ道のりとはいかず、私のMXGP参戦の継続はリーマンショックの影響もあって困難となり、2010年は全日本選手権へ戻ることになりました。鈴鹿のみんなに送り出してもらったのに、たった1年でしっぽを巻いて逃げる様な形での帰国は、情け無くて、みんなに顔合わせるのが恥ずかしかった。

 

故郷、鈴鹿市をベースにしてからは?
2012年から鈴鹿市に戻り、下田さんから練習する環境を全面的にご協力いただき、プライベートコースやガレージなどサポートして頂きました。現在もその環境があるからこそ、ベルズレーシングの活動を続けられています。下田さんに唯一、出来た恩返しは2015年にIA1クラスのチャンピオンを獲得した事。下田さんのご協力なしでは日本一にはなれなかったでしょう。

私が世界で活躍する姿を鈴鹿キッズ達に見せられなかったので、丈が現在アメリカで活躍している姿を見ると、本当に嬉しいんです。私自身がなれなかったからこそ、同じ鈴鹿出身のライダーが世界の最前線で活躍し、強くて速いライダーとして日本中のキッズ達のお手本になっている丈には感謝しかないです。私も丈のようなライダーになりたかったけど、代わりにと言ったら彼や下田家の皆さんに大変失礼だと思いますが、私の夢もを叶えてくれています。

その想いからのベルズレーシングとは?
私自身、全日本ではIA1、IA2とダブルチャンピオンを獲得しましたが、私自身そのチャンピオンという結果よりも「もっと強いライダーになりたい」という気持ちが今現在もあります。ただ、強いライダーに自分自身がもうなれないのであれば、自分の経験や環境を提供し、強いライダーを作っていこう!というのが、チームを立ち上げた目的です。チーム運営を通じ、自分自身の夢を叶えたいと考え、自分の経験をこれからのライダーに伝えれば、最短距離で強いライダーを育てらるんじゃないかと。日本人やアジア人の強いライダーをベルズレーシングとして育てたい。ベルズレーシングは世界を目指すレーシングチームです。

 

現段階での課題は?
強くなるための課題は海外にチャレンジする事。どこにチャレンジするかなど判断は難しいところもありますが、現在の環境も含め様々な事柄が昔とは違います。「俺たちの時代はこうだった」とか言える事は多々あるんですが、課題としては「海外にチャレンジするシステムがない」という事が言えます。私はまず「システムを作ろう」と考えています。「第2の下田丈」を生み出すことはとても重要。野球もサッカーなど他のスポーツもそう、世界に通用するスポーツだからこそ日本で盛り上がる。

現状、丈がせっかく分厚く高い壁を乗り越え世界で活躍してくれているんだからこそ、それに続いて世界で活躍するライダーを生み出せない日本のモトクロスシステムはどうなんだろう?って私自身は考えています。

とは言っても容易ではない。世界にチャレンジしようと言ったって、もちろん簡単ではないですよね。だからこそ、その方向へ向かって一歩ずつ進んで行かないと、私が経験してきた事も生かされません。日本人だけでなく、アジア人が世界でも活躍できるライダーを育て、同時にシステムも構築して行かなければこの先は無いと思っています。

現段階での取り組んでいることは?
まずは全日本で勝ちにこだわってチームを続けていけば、必ず第2の丈が生まれると信じています。キッズからの育成にも力を入れています。クラブベルズ、ジュニアベルズ、44キッズクロスという、若い時からライダーを育てるシステムを、私の考えに賛同していただいているツインサーキット鈴鹿モトクロス場やダートフリークさんと一緒にレーシングな環境を構築し、アメリカやヨーロッパのシステムに近づけていけるよう活動しています。

小島選手が目指す全日本モトクロス選手権とは?
国別対抗世界選手権「モトクロス・オブ・ネイションズ」で戦えるライダーが生まれ、世界で活躍出来る様な全日本モトクロス選手権にしたい。全日本を走っていれば世界に少しでも通用するような大会へと。

小島選手自身が目指すモトクロスは?
自分が育てたライダー達とモトクロス・オブ・ネイションズで戦い、監督として表彰台に立つのが1番の目標。

 

 

モータースポーツ都市宣言されている鈴鹿市。鈴鹿といえば・・・というキーワードには「モータースポーツ」という印象が強く、鈴鹿市に行ってみればさらにそれを体感できる。その環境の中で小島選手は世界を目指している。今回、お話いただいた下田丈選手ご一家との関係性も「鈴鹿市」だからと言っても過言ではない。また、小島選手と下田選手の関係性を初めて知った私は、これまでの小島選手の行動、言動をお話を聞いて再確認できました。

小島選手が言う「海外にチャレンジするシステムがない」という課題に対し、衰退していく全日本モトクロスのレベル。高いレベルの事柄に対し「システム」を構築するのとは違い、レベルを上げながら「システム」を構築するというのは難しい。しかし、小島選手なら「きっとやってくれる」という期待感があります。それはなぜかと言えば、小島選手の言動と行動そして情熱のレベルが高いから、そして「純粋」なレースへの想いをいつも感じさせてくれるから。

vol. 3では、「海外にチャレンジするシステム」という小島選手の言葉をキーワードにお届けする予定です。現在の全日本モトクロスで「世界に1番近い」チーム運営をされている小島選手の情熱、想いはすっごく楽しい。
取材へのご協力ありがとうございました。

 

ビハインド・ザ・ゲート – The Newsmoto

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