Gモト|ビハインド・ザ・ゲート「笠井杏樹」

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お待たせしました! ご好評いただいています、ビハインド・ザ・ゲートVOL. 2は、住友ゴム工業「笠井杏樹」さんです。

前回ご登場いただいてから8ヶ月。ホントお待たせしました。ダンロップタイヤ技術本部に所属されている笠井さん、前回はパドックウォークで「興味深い経歴と背景」ライダーが目指すべき1つの形をご紹介しました。前回の記事を読んでから今回の記事を読んでいただくと、さらに深堀していただけます。

Gモト|PADDOCK WALK スペシャル「笠井杏樹」

「バイク歴は高校3年生18歳からで、6年目」。そして「TOHO Racing Club」からST600に参戦するロードレーサーとのことでした!バイク歴6年でここまで駆け上がるなんて!素晴らしい。バイクに乗り始めた「キッカケ」は?
18歳の誕生日プレゼントに、父がホンダNSF100というバイクを買ってきてくれて「レース始めるぞ!」って。翌年「鈴鹿サーキットレーシングスクール」に入校。入校2年目には並行し「岡山ロードレース選手権・鈴鹿サンデーロードレース選手権」に出場しましスクールは2年で卒業



バイク購入からスクール、レース出場とテンポの早いレース活動ですね?バイクを購入してくれた、お父様はどんな方なんですか?
父は自分でもレースしていて、全日本でレース車両のECUに関わる仕事をしています。

 

国立高専に入学したのは?


高専の内容もあまり理解していなかったんです。中学時代はソフトテニスをしていて、ペア組んでいた1つ上の先輩が高専に入学「一緒にテニスしよう!」って言われたので「じゃあ行きます!」と2つ返事で高専に入学しました。笑



国立高専って簡単に入学できるレベルじゃないですよ!笑 学校生活はいかがでした?
高専へは勉強しに行ったというよりも「先輩とテニスをしに行った」ような感覚。高専って「勉強」というイメージが強いと思います。私自身も勉強で苦しかった部分もあるんですが、運動が好きスポーツが好きで「テニスができるから勉強もがんばる」みたいな。なんでそこまでテニスに執着したかというと、私が在籍していた中学校は部活が強かったんですが優勝できなかったんです。なので、高専でがんばろう!と思いペアを組んでいた先輩を追いかけていきました。先輩は本当に学びたい事があって高専に入学したんです。入学してみたら学校の環境良かったので、高専に入学できるのなら勉強しながら一緒にテニスもできるねって、先輩が道を作ってくれたので、その道に進みました。

いつからバイクに?
高校三年生18歳の誕生日にバイクが届いたんです。高校の部活は3年生まで(高専は5年制)のある時期まで、先輩も学業に専念するというので「自分は何をしよう」と思い考えている時に、父が「ウキウキ」しながら「レースしよう」と誘ってくれました。笑


バイクと学業の両立はいかがでしたか?
テニスと学業は結構融通が効きましたし、授業の後に練習ができました。バイクと学業となると、学校のスケジュールと接点が少なくなりますよね。部活ではないので、レース会場への移動や練習、レースなども学業とは関係ありません。ロードレースはレースウィークの木曜日から練習が可能なので、学校を最低でも3日間休まなくてはなりませんでした。その辺が学業との両立が難しかったです。

 

どう両立したんですか?


「鈴鹿サーキットレーシングスクール」に入校したのですが、高専は2期制なのでスクールと学校のスケジュールが合いませんでした。部活ではないので「公休」になりません。きちんとスクールで学べなかったので高専4年生の時に高専を「休学」しました。その年に先ほど話しました「鈴鹿サーキットレーシングスクール・岡山ロードレース選手権・鈴鹿サンデーロードレース選手権」と3本立てでガチで活動しました。高専は勉強する事が主の場所なので、自分で資料を作り学校に提出、提案し学校側に休学を認めていただきました。

んー素晴らしい情熱。高専を何年間で卒業されたんですか?
8年間で卒業し、卒業するまでにロードレースの国際ライセンスを取得しました。

素晴らしい情熱と行動力ですね。ビックリしています脱帽です!卒業から住友ゴム工業さんへの入社の経緯を教えてください。
このままライダーとしてやっていくのか、就職するのか悩んでいた時期、ダンロップさんに仲良くさせていただいている方がいました。「就職するか悩んでます。」と話したら「明日まで求人が出ているから応募してみたら?」と。笑 ライダーとして活動していた事も重要だったと思いますが「普通の新卒と同じ求人」での入社です。運と周りの環境に感謝です。

振り返ってみると「お父さんの作ってくれた環境」ってキーポイントになっていますね。
そうですね。この環境があったから鈴鹿サーキットレーシングスクールに入校できましたし、たくさんの全日本ライダーの皆さんと練習もできました。今日の、このような出会いにもつながりますし、父の影響は大きいです。



今後については?
1番はモータースポーツ、特に2輪競技を盛り上げていきたいです。まだまだ経験不足ですが、私はライダーとしても技術者としても発信していけるので、貢献できるようがんばります!

 

 

今回は、以前からお聞きした「勉強とバイクの両立って難しいので、学校を辞めてしまう子が多いんです。辞めずに続けて就職し、レースの現場に来る女性を増やしたい。私の活動をダンロップを通じて発信する事で仲間が増えたらと思います」という笠井さんの想い。その言葉を聞き、Gモトクルーが伝えたいと思った「ライダーが目指すべき1つの形」をご紹介しました。

笠井さんの行動には「男女問わずライダーとしての選択」が詰まっていて、見習う事や、参考になる事があります。次回は「全日本モトクロス選手権会場での仕事を深掘り」。まだまだ続きます、ビハインド・ザ・ゲート笠井杏樹。!

お忙しい中、貴重なお時間をいただきお話を伺いました。取材へのご協力ありがとうございました。

 

ビハインド・ザ・ゲート – The Newsmoto

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