Gモト|PADDOCK WALK「町田瑞貴」
Gモト目線で「全日本の楽しい〇〇」をお届けするパドックウォーク。 今回は、BABANA SHOX 町田瑞貴さんにインタビュー。
町田さんの旧姓は「馬場」。 オールドMXファンの方々は、ピン! ときた方もいらっしゃるかもしれません… そうです、そうなんです。お父様は Team HRC、TEAM SUZUKIで80年代〜90年代にご活躍、ファクトリーチームの監督もされていた日本を代表する往年の名ライダー「馬場善人」さんなのです!
ご兄弟は元全日本モトクロス選手権IAライダーで、現在はエンデューロ界の王座に君臨する馬場大貴選手、馬場亮太選手。ご主人はYAMAHA FACTORY INNOVATION TEAM町田旺郷選手という、文字通りのモトクロスファミリー。
Gモトクルーも過去のチーム運営当時には大変お世話になり、その時の出来事が忘れられなくて今回取材をお願いしました。 全日本モトクロス選手権をご家族と常に共に歩んできた彼女だからこその「モトクロスライフ」の背景や経緯、想いに迫ります。
今回はパドックウォークでその序章で、町田瑞貴さんご提供の貴重な写真とご自身のコメントを中心にお届けします。
1番過去の記憶は、兄の初レースに一緒に会場に行った事。 きっと私が3歳だったかな。それ以降の私の写真は「土で遊ぶ」、「工具箱の中を覗き工具がおもちゃとか。
コースに行く=兄と弟はバイクに乗る、私はコースを”遊び場”として認識していました。
その当時から「バイクにも乗らず我慢してるんでしょ?」って言われてたんですけど、そういう事はなく、父が積極的に私を「レースの外側ではなく内側」に入れてくれました。
幼い私にも「役割」があって、5, 6才の時から父は私を「マネージャー」という位置付けし、父のチームで活動していた長田智邦さん(元IAライダー、現MX PRODUCTION)も、私を「マネージャー」という位置付けにしてくれていたので、そういう部分では「仕事」もしくは「やるべき事」としてコースに行く事ができていました。
「長田のにぃに」とはその時からよく遊んでもらっていました。 今でも私は「にぃに」呼びです。笑
その当時からかなぁ、私達は「家族」でレース活動することが「日常の週末」になっていき、三重県オフロードランド美杉のキッズレースから始まり、兄弟達がIB、IAになり全日本モトクロスに参戦するようになっても「変わらない日常の週末」が続きました。
幼い頃、何が分かる訳ではないんですけどバイクと工具箱の間に座り、父がバイク整備をしている時に一緒にいるのが好きでした。
その頃から父の背中をずっと見てきたので、父が亡くなってから兄と弟に対してレース後のケアも「父なら、どう声をかけるかな?」って考えながら、兄と弟が全日本モトクロスを引退するまで寄り添いサポートしてきました。
振り返れば、全てが「良い結果、良い思い出」だけではないんですけど、たくさんの時間を家族と過ごしたなって。
これが私のモトクロスの始まりなので、楽しくモトクロスに関わる事を始められた大切な時間です。
– 町田瑞貴
馬場善人さんといえば、IB時代のポカリスエットグラフィックの「青いホンダCR」で、IAライダーでも飛べなかった「生駒の4連ジャンプ」を飛んだというセンセーショナルなライディング動画を見たのが、Gモトクルーのファーストインプレッションです。
某メーカーの夏合宿で馬場さんを初めてみた時の「カッコよさ」は今でも忘れません。
オールドMXファンの方々であれば、皆さんそれぞれ「ライダー、馬場善人」のカッコイイ思い出があると思います。
それくらい、スタイリッシュで明るくて「色気と刺激」のあるレースファンを魅了するファクトリーライダーでしたね!
町田さんは「生まれてから1シーズンしか全日本を休んでいません」という、生粋の全日本モトクロスサポーター。
レースを知り尽くしている「父」が「娘」とモトクロスコースに行く環境を作る。 その環境が「楽しくモトクロスに関わる事を始められた大切な時間」となって今も続いている。
私がレースチームを運営していた当時、スタート前、私達のスタートエリアに彼女が「スッと」立っていた。良いレースをしたかった私は彼女に「ライダーのゴーグル」を手渡しました。 彼女はライダーの横に立ち「ゴーグルを手渡し」レースのスタートまでサポートしてくれました。 その当時、町田さんとの接点はあまりなかったんですが「ライダーのゴーグル」を自然と手渡せました。彼女にはそういう「安心感」があるんです。
生粋のサポーターは今、夫婦で全日本モトクロスの頂点を目指しています。 vol.2となる次回は、サポーターとしての活動に迫ります。
GSPEED-TOKYO
写真提供「BABANA SHOX」