クラシックモトビデオ|2007 モトクロス・オブ・ネイションズ アメリカ大会 バッズクリーク

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【2020年5月7日の記事を再編集】

MXGP公式がリリースする、国別対抗戦「モトクロス・オブ・ネイションズ」過去大会ハイライトビデオ。今回は、1947年以来の歴史を誇るネイションズでも最も注目度高い開催地のひとつ「アメリカ大会」2007年のバッズクリーク大会をシェア。

 

AMA15冠&最多勝リッキー・カーマイケル現役最後のレースとしても知られ、成田亮選手(MX1)・増田一将選手(MX2)・熱田孝高選手(OPEN)の3名による日本代表チームが総合7位という好リザルトを記録した大会です。

 

ビデオに続いて、日本代表チームMX2クラス担当の増田一将選手から当時の様子を振り返ったもらったコメントをエクスクルーシブにお届け。当時話題となった代表選出から、450マシンから250マシンへのコンバート。今だから語れる裏話等の全日本モトクロス選手権スケジュール合間の短期間での調整や世界最高峰ライダー達との国の威信をかけたネイションズでの生々しい内容をお楽しみ下さい。エンジョイ

 

 

自国開催ネイションズで見事、アメリカ代表チームが優勝。MX2クラス担当ライアン・ビロポートの450マシンとの混走ながら、レース2で2位に1分以上の大差を付ける独走勝利は伝説的に語り継がれています。ティム・フェリー持ち味の安定感と粘り強さも発揮され文句なしのアメリカ優勝。

 

あまり語られること少ないのですが、カーマイケルは2007年AMAモトクロスシリーズ中からエプスタインバーウィルスに感染。現在でも多くのアスリートを苦しめる発熱や極度の疲労を引き起こす感染症に苦しめられていたのです。来日時のえかきやたまさんによるインタビュー内で今大会の走りは「ベストではない」と語っていた原因はエプスタインバーウィルスによるものなのでした。

 

 

以下、MX2クラス担当しクラス8位と世界最高峰の舞台で大健闘を見せた増田一将選手のコメントです!

 

2007年のネイションズUSA大会の代表選考に関してですが、この年はIA1クラス上位の選手でMX2クラス担当ライダーを選択しようとするこれまでの日本であまり例を見ない選考基準でした。ネイションズの順位に意識を高く持った中で、ランキング4位の私に代表のお話がありました。

当時、確かランキング3位が新井選手でしたが、マシンの用意ができない or シーズン中のマシンの乗り換えが厳しい等の理由で、自分に話が回ってきた気がします。あと、1998年国際A級125チャンピオンなのでとも言われました。今だから言えますが、125チャンピオンなのでというものの当時は2ストローク125ccでの獲得なので4ストロークマシンでのMX2クラスへの選考には違和感もありましたが、ネイションズ参戦に加えてアメリカでの開催ということで直ぐに参加の返事をしました。

レースに向けては、日本代表決定が7月下旬だったものの9月に名阪での全日本がありましたので、450にて通常の練習をしていました。マシンに関しては、特に不安もなく450に乗ってるから250も乗れるぐらいの気持ちでいました。名阪の全日本が終わってすぐに渡米(ネイションズ開催2週間前)。カリフォルニアにてテストなどを行いました。テストと言ってもサスは450の仕様そのままで、マフラー(ヨシムラ)のテストがメインとなりました。数セットをテストし仕様は決まり、あとは乗り込み中心の調整をしていました。他の日本代表、熱田選手、成田選手は、1週間前に渡米し何日か乗ってバッズクリークへ移動でレース車とは別の車両でライディングでした。自分もギリギリまで乗り込めると思ってましたが、実はマシンが1台しかなく2週間前に渡米したものの、みんなと合流した時にはマシンは既にバッズクリークに向けて輸送されていたので見学のみとなりました。なので、実際に250をライディングしたのは4日のみでネイションズ本番を迎えることに。

拠点のカリフォルニアからバッズクリークまで移動しいよいよ本番。この大会はアメリカ代表チームにはホンダのライダーが選出されなかったで、USホンダファクトリートラックを当時のHRC渡辺監督が手配してくれて、熱田選手と2人で使わせいただきました。当時もですが、今改めて振り返っても大変貴重な体験をさせてもらったと感じています。

レースプラン等は用意せず、自分の走りをするだけと各自認識していました。チーム全体としての作戦も特になく、スタートグリットも公平に各ライダー1回はチーム内での選択順を先に選べるようにしていました。さすがに決勝の時は、450マシンを駆る成田選手だったか熱田選手に優先権を譲ろうと(250マシンの為)自分からHRC渡辺監督に提案しましたが、公平にということで先に入りましたが、スタート出遅れました…。

レース内容は、スタート出遅れ気味で全てのヒートで終始誰かとバトルでしたので集中してたとしか記憶がないですねー! ワダチも多かったですが、そこまで走りにくくはなくレース中に前のライダーの真似をしたり、ライディングを変更したりしていました。実際、乗れば乗るほど250にフィットしたライディングとなっていましたし、カメラマンの柴田さんにも同様のことを言われました。今、振り返ればもう少し乗り込む時間があれば、もっと上に行けたかもなんて思ってしまいましたね!

ネイションズに関しては、4回の出場経験があります(イギリス、ベルギー、フランス、アメリカ大会)。どの大会にも思い出はありますが、やはりアメリカ大会は格別でMX大国アメリカでので開催は特別感がありました。代表ライダーも国を背負っての走りですが、現地会場のお客さんも同じように歩けないほどの来客数で声も聞こえないほどの鳴り物の嵐でした。走っていて、実は応援されていなくても、鳴り物で自分が応援されてるかのように錯覚してしまうほど。錯覚でも気持ちがあがりますねー!

結果としては、個人成績ではクラス8位でした。そこまで順位を意識してなかったし、成田選手はレース1でクラッシュし、足を痛めてしまったのでレース3も厳しい状態での走行でした。熱田選手はネイションズ代表も視野に入れたシーズンで事前に同会場でのAMAモトクロスにもスポット参戦し、コースにも慣れていて乗れていました(クラス総合3位)。ヒート2は熱田選手も出遅れ、序盤は自分の4人前ぐらいで渋滞を起こしてたのでイライラと何やってんだよーと思ってましたが、中盤からペースアップしてましたね。すべてのレース終了後に、総合結果の話になりましたが、15位ぐらいの予想がMX2クラス総合8位だったので、とてもびっくりしたを思い出します。

自分のネイションズ参戦において4大会中、3大会がこの2人(成田選手、熱田選手)との代表選出でした。結構、熱田選手がビッククラッシュをするイメージがありました。アメリカ大会の日本代表MVPは熱田選手でしたが、全員で発揮できる走りをした結果で各々ベストを尽くし、チャレンジしたのが好結果に繋がったのかもしれませんね。

 

 

日本代表の過去最上位は2000年(高濱龍一郎選手、熱田孝高選手、成田亮選手)と2003年(成田亮選手、増田一将選手、熱田孝高選手)の総合6位。上記、総合7位を記録した2007年メリカ大会以降、日本代表チームはシングルフィニッシュ「なし」。

 

どうしても過去最上位の6位を記録した、2000年と2003年大会ばかりが語られること多いです。しかし、4ストロークマシン全盛、ヨーロッパ勢の攻勢という現在のテクノロジーや勢力図という観点から見てみると、2007年アメリカ大会での「総合7位」という結果を日本代表チームの潜在的ポテンシャルを語るには相応しい大会なのでは?と考えます。リザルトを振り返っても今でも現役ライダーとして活躍するビッグネームが上位に名を連ねていまし、注目度高かったアメリカ大会ということで出場各国が順位にこだわった大会。過去の栄光ではなく、現在進行系として「ギリギリ」語ることが出来る時代の日本代表の大健闘。

 

間違いなく、十数年前のネイションズには日本代表チームが「トップ10入賞の実力」があったのです。

 

・MX1 総合順位
1. Ricky Carmichael (3-1)
2. Steve Ramon (8-4)
3. Tanel Leok (7-5)
4. David Phillipaerts (6-6)
5. Sebastien Pourcel (4-9)

・MX2 総合順位
1. Ryan Villopoto (1-1)
2. Tommy Searle (9-3)
3. Nicolas Aubin (10-6)
4. Carlos Campano (14-7)
5. Colton Facciotti (16-12)

・Open 総合順位
1. Tim Ferry (4-2)
2. Ken De Dycker (2-11)
3. Yoshitaka Atsuta (8-7)
4. Pierre Renet (5-14)
5. Marcus Schiffer (11-1)

・国別総合順位
1. アメリカ…8 points
2. フランス…34
3. ベルギー…35
4. イタリア…57
5. イギリス…63
6. スペイン…68
7. 日本…77
8. スイス…84
9. ドイツ…89
10. カナダ…90

 

たまモト特別編|リッキー・カーマイケル独占インタビュー


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