【米ツアー専念の松山英樹に制裁金】のニュースからJMBに思いを馳せる

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嫌なニュースですね、ホント気分悪い。記事内の日本ゴルフツアー機構に対してコメントしている方々のゴルフ界や他のスポーツ界での実情・意見が正論だと思います。海外へのチャレンジは、どんなスポーツでも大変だと思うし、ハンパな覚悟や準備では成功出来ないのは事実なはず。

 

Phiten USAさん(@phitenusa)が投稿した写真

 

日本ゴルフツアー機構としては日本のゴルフシーンを盛り上げたいのは当然でしょうし、充分に理解出来ますけど… どうしてこういうベクトルに話が進んでしまうのか? どうして物事を論理的に考え判断出来ないのか? 言い方悪いですけど、モータースポーツと比較にならない大きな規模のゴルフ業界で、このような制裁をすることが恥ずべき事という思考が働かなかったのが不思議でなりません。

 

逆に、海外で活躍する松山選手の人気と活躍にあやかり、現状の日本男子ツアーとは違う形でも、松山選手を始めとする海外で活躍する選手達に協力してもらうような発想の転換にならなかったのでしょうか。日本ツアー以外で、エキシビション大会やTVの企画? バラエティー番組等でも充分な露出でファンやスポンサーに向けての活動は出来るのではと考えてしまいます。ゴルフ界は全然詳しくないので見当違いならスイマセン! ただ、モトクロスと比較すればはるかに…

 

と、考えていたら、ジャン・ミシェル・バイルのことを思い出しました。バイルはヨーロッパで世界選手権のタイトル獲得後、自身の夢でもあり目標でもある、アメリカAMAシリーズへのチャレンジの為に、松山選手と全く同様のケースでフランスのフェデレーションにライセンスの解約金?の形で、そして金額も日本円で約100万円と松山選手と同じような(当時の貨幣価値からするとバイルの方が相当高額)金額を支払い、AMAライセンス獲得という経緯がありました。

 

80年台初頭から世界のモトクロス界を席巻していたアメリカモトクロスシーンですが、当時は誰もヨーロッパからAMAへフル参戦でチャレンジしようというライダーはいない時代のことです。

 

 

フランスだけでなくヨーロッパ、そしてバイルのファンまでもが、AMAチャレンジに反対したと後のインタビューでバイルは語っています。理由は日本ゴルフツアー機構と同じようにスターを失いたくないからと、ヨーロッパからアメリカへのチャレンジという前例が無かった為。

 

その後は皆さんの知る所かとは思いますが、1989年のスポット参戦を経て、1990年からAMAへのフル参戦を開始し、全盛期のJ・スタントンやD・ブラッドショーらを破り、1991年のAMAスーパークロス、AMAモトクロス250ccクラス、500ccクラスと前人未到の三冠を制し世界のモトクロスシーンを完全に制覇したのです。

 

今のようなアメリカ人以外が活躍することを受け入れられる時代背景ではなかった当時、アンチ・バイル派がAMAの会場に多くいた中での快挙。バイルのAMAでの活躍が無ければ、リードやロクスンの活躍も無かったのかも? しれません。

 

OCD Design4Victoryさん(@ocdesign4victory)が投稿した写真

 

ライセンス解約金の一件で関係が悪化していたフランスのフェデレーションとバイル、それ以降、モトクロス オブ ネイションズ(当時はモトクロス デナシオン)フランス代表として出場することはなかったのですが、1992年にMX界からあっさり引退する前にフランス代表として再びネイションズに参戦となるのでした。一件落着?そして、ロードレースの世界へ… というお話はまた改めて。

 

松山選手にもバイルのように? と言うとおかしな感じですが、ゴルフ界の頂点、アメリカツアーへのチャレンジ、頑張って欲しいです! そして、日本のMFJには、日本ゴルフツアー機構を反面教師として、制限ばかりをかけるような改革よりも、もっともっと日本のモトクロスシーンが活性化されるような具体的で可視化可能な改革・活動を期待してしまいます。

 


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