Gモト|Life in Speed「取材3年目」鈴鹿モータースポーツ

今回のLife in Speedは・・・大好きな鈴鹿市のモトクロスをお届けします。東京から約450キロと数字だけ見れば近い距離ではありません。それでも「遠い」と感じた事はないんです。鈴鹿で交わす何気ない挨拶、自然と始まる会話、みんなで囲む温かい食事、そしてバイクに乗る。そうした1つ1つの時間に鈴鹿のモトクロス文化を感じます。
モータースポーツ宣言都市・鈴鹿市での取材も気づけば3シーズン目。訪れるたびに新しい表情に出会える。だから今年も、また鈴鹿に足を運びます。

鈴鹿市とモータースポーツ 鈴鹿市は2004年に公式に「モータースポーツ都市宣言」を行っています。F1日本グランプリ、鈴鹿8時間耐久ロードレースをはじめ、数多くのカテゴリーのレースが開催され、モータースポーツを通じ地域の活力を高め、国際交流や子どもの育成、安全、安心な街づくりを進めてきました。
そんな鈴鹿市、実はモトクロスとも深い縁を持つ場所。鈴鹿サーキット内、現在のファミリーキャンプエリア付近には、かつてモトクロスコースが存在し全日本モトクロス選手権や世界選手権(現MXGP)などが開催されていました。残念ながらこのモトクロスコースは1995年頃に閉鎖されてしまいましたが、私自身も現役IA時代、「鈴鹿サーキットモトクロス場」で行われた全日本モトクロス選手権、世界選手権に出場していました。
鈴鹿を取材する際、あの頃の空気、音、景色を思い出すため必ずこのモトクロス場跡地を訪れます。ライダーとして通っていた鈴鹿。メディアとして訪れる鈴鹿。立場は変わりましたが今も変わらず、私にとって大切な場所であり続けています。
鈴鹿サーキットからモトクロスコースは姿を消してしまいましたが、現在、鈴鹿エリアのモトクロスシーンを支えているのが、以前ご紹介した 鈴鹿ツインサーキット内の「鈴鹿モトクロス場」 です。 ここではクラブベルズ、44キッズクロスといったイベントが開催され、キッズからベテランまで世代を超えてモトクロスを楽しんでいます。鈴鹿のモトクロスは決して過去のものではありません。場所と形を変えながらも、確かに「今」を走り続けています。

鈴鹿市とGモト
2018年の夏。それまで活動していたSCRAPPY-MXから、GSPEED-TOKYO(GINZA SPEED TOKYO)へと名前を変え、仲間を誘いながら、関東モトクロス選手権への協賛、キッズレースイベントへの協賛、ライダーへのスポンサー活動を皮切りに、再び関東のモトクロスレースシーンに戻る事を決めました。
けれど何年経っても、どこかに拭えない違和感がありました。「自分達は、本当にレースシーンを活性化できているのだろうか?」そんな思いに行き詰まりを感じていたのも、正直なところです。 転機は取材でした。ベルズレーシング・小島監督の取材を皮切りに、下田陽一氏、森脇緑さん、そして鈴鹿ツインサーキットの齋藤ご夫妻。鈴鹿で多くの方々に話を聞き、現場に立つうちに、あれほど重く感じていた違和感が、少しずつ薄れていったのです。
コースで出会うライダー、その家族達と一緒にバイクに乗り、同じ時間を過ごし、言葉を交わす、交流を重ねるほどに「これで良いんだ」と思える感覚が加速していきました。今では冗談交じりに、「モトクロスの住民票は鈴鹿ツインサーキットです」なんて言うほどです。そう、とにかく楽しい。人と人が繋がれる場所が鈴鹿にはあるんです。

Gモト目線が研ぎ澄まされる鈴鹿市
鈴鹿にはモトクロスに向き合う為のすべてが揃っています。始める事、レベルアップする事、家族で取り組む事、全日本を目指す事、そして世界レベルで戦う事。それが特別なものとして切り分けられる事なく、自然につながっている。
楽しみながら、切磋琢磨し、スポーツとして本気で向き合える環境があり、そこで走る人達、支える家族、見守る大人達。皆さんと触れ合い時間を共有していく事で、Gモトとして、何を大切にするべきか、何を伝えるべきか、何を応援するべきか。 その「目線」は、鈴鹿で少しずつ研ぎ澄まされ再確認できました。鈴鹿で見て、感じた事は、これからのGモトの在り方に大きな影響があります。だからまた、ここに戻ってきてしまうのです。










今年も鈴鹿に通う理由
鈴鹿に特別な事があるからではなく、走る人がいて、支える人がいて、その中に身を置くと「何故モトクロスを続けているのか?」。その原点に立ち返る事ができるからです。だから今年も鈴鹿に通う。距離じゃなく、ここでしか感じられない事、達成できる事があるから。
まだまだ続くよ!鈴鹿でのLife in Speed。







