訃報|V2 AMAスーパークロス 125SX 王者 ブライアン・スウィンク死去
1991、1992年 AMAスーパークロス 125cc イースト(現250SXイースト)王者でスズキファクトリーにも所属し、ジャパン・スーパークロス参戦もある、ブライアン・スウィンクが死去のニュース。ご家族のSNSで発表。
1997年の引退後、一時は体調不良も伝えられていました。死因は公表されていません。45歳でした。
AMAを代表する名門チーム「プロサーキット」、最高峰クラスのファクトリーチーム以上にAMAパドックで存在感を示すチーム。先日のAMAスーパークロス最終戦ラスベガスSXでのアダム・シアンサルーロの優勝により、チーム通算150勝を達成したのですが、その最初の「1勝」は、1991年AMAスーパークロス開幕戦オーランドSXでのスウィンクの勝利によるもので、プロサーキットに最初のタイトルをもたらしたのもその年のスウィンクなのです。
1991年のAMAスーパークロスに突然現れた、青いホンダのマシン。開幕戦ラストラップのフィニッシュ直前にライアン・ヒューズを僅差で逆転し優勝したのが、スーパークロス初レース初優勝のスウィンク。当時の衝撃と開幕戦でのスウィンクの逆転勝利は今でもはっきりと記憶しています。
1992年からはスズキファクトリー入りし、スーパークロスでは2度目のタイトル獲得。翌年からは最高峰250ccクラスにステップアップ。プロサーキット時代のチームメイトで後の「キング・オブ・スーパークロス」ことジェレミー・マクグラスの輝かしい活躍とは対象的に負傷が多く、ホンダ・オブ・トロイやモトXXXにも所属し、最高位は2位。
好調時のスウィンクは、クリエイティブなライン取りやジャンプ攻略等で、レースファンをワクワクさせてくれる天才肌のライダーでした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。